2006年08月21日

眼差し

loving_eyes1.gif
posted by kako at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

内に問う

ask_yourself1.jpg

                自分の内との関係が定まると、全ての答えを内から受け取るだけです。
posted by kako at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

許す

サージ・カヒリ・キングが彼の近著 ”Healing Relatioships ”で述べている許しの技には、
大きく二つのポイントがあります。
     1.許せない事は許さない。
     2.許せる事は許す。

            *

許せない事とは、ある人(達)が自分や自分が愛し大切にする人(達)を害する言動です。
許せる事とは、ある存在(自分自身も含め)に対する自分の悪感情と否定的な反応です。

            *

怒り、恨み、憎しみ、無力感、罪悪感など害を与える言動によって引き起こされる悪
感情は、緊張として身体に蓄積します。自分に生じた悪感情と反応を手放さない限り、
身体的のみならず感情的、精神的にも膨大なストレスを抱え込んでしまいます。

            *

許せない言動をした存在が自分以外の人間なら、その人(達)が自分の人生を台無しにする
のをなぜ許すのでしょう?

生まれつきの歪んだ性格、生い立ち、病気や障害のせいであれ何であれ、その人がそう
いう人間でそういう行動をせざるを得なかったのを認めるなら、さらに一歩踏み込んで
その人がそういう人間でそういう行動をしてしまう許可を自分から与えるなら(既に実際
に行動してしまっているのですから)、相手の言動を先導する力を自分が発揮し、しかも
責任は全て当人に帰し、自分の過ちでは全くなくなります。
      
           *

あらゆる存在(自分自身を含め)に対する裁きや非難を一切放棄するには、自分の人生の
価値が外からは揺せない確固とした土台に基づいているのを、自分自身に対して明らかに
しなくてはなりません。
 
           *

自分の思い通りに周りの人(達)が動くのが、または自分の期待を裏切らない周りの人(達)
の在り方が、自分の人生の目標でしょうか?

           *
         
自他に対する悪感情や否定的な反応を許す(手放す)には、自分(達)に害を与えた
相手の生き方と自分の生き方の境が見えなくてはなりません。

その人(達)はその人(達)として生きる域があります。自分は自分として生きる域が
あるのです。

それぞれの人が生きる域間でエネルギーのやりとりや共鳴は可能でも、自分の側から
明け渡さない限り、越境して生きる主体を侵害するのは本来不可能です。

人は誰もが、自分として生きる権威と力を有しているからです。

           *

自分(達)に害を与える人(達)の生き方を自分の生き方として取り入れ、自分の人生を
放棄してしまうのが、復讐や仕返しです。その人(達)はたとえ自分が許しても、相応な
罰や結果を身に負わざるを得ません。

また許すのは、忘れる事でもありません。忘れなければ、たとえ許しても同じ事を繰り返す
結果を招きません。

           *

人は他の人を誰も救済出来ません。しかし、癒しは出来ます。それには祈りが最も効果
的でしょう。まず自分、そして相手が今ここでこの様に生きているのを、生かされているの
を祈りにおいて感謝すると、生命の源にじかにつながります。生命には自他の区別がない
ので、生命の源は相手と自分の双方の内から働き、それぞれの必要に応じて癒します。
          
           *

何よりも自分自身との関係を癒すには、時には害を与えた人(達)と距離を置いたり
間合いを取るのが必要でしょう。さらには、その人を自分の人生から退場させる事も
必要かもしれません。

その人(達)を否定するのではないのです。その人(達)とは全く別な生き方をその人(達)
とは違う場で行うのを選ぶだけです。自分が自分らしく生きるのを大切にするだけです。

           *

無償の愛は、自分自身に対してから始まります。

追記
posted by kako at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

癒し

healing1.gif

                         内から出るものが 癒すので

                         外からはちょっと手助けだけ

                         手を添え 笑顔で 居るだけ

                         時を一緒に 刻む 眼差しに

                         どれ程励まされてきただろう



posted by kako at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

仲間

「仲間」 月乃光司作詞 木林おず作曲ギター演奏

※こわれ者の祭典にて朗読
 ギタリスト木林がパンク風のアレンジで演奏して
 詩絶叫を行う

七輪で死ぬ前に僕たちを見てくれ
練炭で死ぬ前に僕たちを見てくれ

共同体には自分でできない第一歩を踏み出させる力がある
インターネットで知り合った見知らぬ者同士が
死んでいく共同体として、車の中で一酸化炭素にまみれる前に

地球は太陽を回る車のようなものだ
この地球という車の中で
死ぬことができない者同士が
もがき苦しみながらも、生きていく共同体を作ることができたら・・・

僕たちのメッセージは届かないのかもしれない

でも、僕たちもあなたと同じように、
この地球という車の中で
今も、もがき苦しみながら、生きていく「仲間」で
あることさえ伝わればいいと思う

僕と同じ匂いを感じる人達
それは僕の仲間だ
僕と同じ「生きにくさ」を持つ人達
それは僕の仲間だ

手首に傷のある女の子
僕の仲間だ

ひとりぼっちの部屋、見つめるのはインターネットだけの少年
僕の仲間だ

精神科病棟、外来の待ち時間に孤独を見つめる人達
僕の仲間だ

全国100万人の「引きこもり」の皆様
僕の仲間だ

日本全国200万人の「アルコール依存症」の皆々様
僕の仲間だ

仲間、仲間、仲間、仲間
仲間がいれば、僕は生きていける

仲間で、傷を舐めあって、傷口をほじくり回して、
傷口をつつきあって、流血して、大流血、
血と汗と涙を流しながら、生きていこう仲間



足に釘が刺さっていて動けない
道ばたで倒れて、ひとりぼっちで泣いていた
誰も足の釘を抜いてやることはできない
痛みを取ってやることはできない
でも、僕と同じように足に釘が刺さった仲間が
「俺も痛いんだ! でも一緒に這っていこうぜ」って言ってくれたら
僕も前に進める気がする。
痛みながら、這っていこう、1日、1センチずつの前進だ

悲しみの嘔吐、過食症の女の子
僕の仲間だ

幻聴、幻覚、妄想、全世界、8000万人の統合失調症の皆々様方
僕の仲間だ

不潔恐怖、対人恐怖、視線恐怖、自己臭恐怖、先端恐怖、醜形恐怖、広場恐怖、強迫観念パニック障害、全宇宙、5億人の神経症の皆々様方
僕の仲間だ

脳性マヒ、ボーダーライン、解離性障害、性同一性障害
僕の仲間だ

閉鎖病棟、鉄格子を越して僕と同じ空を見上げる人達
僕の仲間だ

仲間、仲間、仲間、仲間、仲間

仲間がいれば、僕は生きていける
仲間で、傷を舐めあって、傷口をほじくり回して、傷口をつつきあって、流血して、大流血、
血と汗と涙と鼻水とよだれを流しながら、

生き抜いていこう仲間

ひとりぼっちでずっと生きてきた
生きることができない、死ぬこともできない
人が怖い、だけど孤独に苦しんでいる、それが僕だった
僕と同じ心を持つ人達がいることに気付いた
「生きにくさ」を共に分かち合っていこう、仲間
仲間がいれば、僕は生きていける、仲間

(月乃光司さんの6月13日付け日記から転載させて頂きました)

月乃光司さんの日記は、http://www5.diary.ne.jp/user/502228/
月乃光司さんが主催する「こわれ者の祭典公式ページ」は、http://niigata.cool.ne.jp/cat_girl/koware/index.html
新潟お笑い集団NAMARAのブログは、http://blog.livedoor.jp/namaraniigata/

posted by kako at 05:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

親業

pet.gif

   親業はピアレント・エフェクティブネス・トレーニング(PET)の日本語名で、トーマス・ゴードン
   氏が1960年代に始めました(参考:『親業−子供の考える力をのばす親子関係のつくり方』
   (トーマス・ゴードン著、大和書房、1998)

   親と子の関係さえ「勝負」になりがちな現在、ゴードン氏による『勝負なし』での関係作り
   の考え方は「ウィン・ウィン(Win/Win」の発想で、どちらにとってもより良い在り方を探す
   手助けになるでしょう。

   関連したサイト:親業訓練協会はhttp://www.oyagyo.or.jp/
        ブログ:http://tric.seesaa.net/article/17047167.html
            :http://kurematis.blog28.fc2.com/blog-entry-32.html  
posted by kako at 15:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

天と地と人

papa&wakea.gif

                         人が 天と地を つなぎます
posted by kako at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

人との意識による共感

人との感覚による共感はとても貴重ですが、ここでは意識による共感について、練習の際目安にも
なる一つの手順を紹介します。

まず、相手と向かい合います。意識を相手に向けて心を開きます。心を開くとは、条件をつけない
のです。「〜すれば」とか「〜であれば」ではなくて、丸ごと相手を受け入れます。それには、相手の
眼の奥を心から真っ直ぐ見つめると十分でしょう。相手が目の前に居ない時は、「(相手の名前)
さんのアウマクア、アロハ&マハロ」と、三回唱えます(声に出しても、心の中ででも良いです)。

次に、相手のアウマクアが今ここで表わす事を受け取ります。

何も感じない場合は、自分の内なる庭に入って相手のアウマクに呼びかけます。「(相手の名前)
さんのアウマクア、今ここであなたが表わす事をシボルやイメージ、メッセージで私に示してくださる
のを感謝します」(相手が目の前に居る場合は勿論、心の中で結構です)

ゆっくり深く息をしながら、何かを感じるのを待ちます(おしゃべりをしたり、動いたりしていても良い
です)。

さらに、相手のアウマクアが示す事を自分が表わす方法を選びます。

反射的に行動しないで、自分のアウマクアに尋ねます。「私のアウマクア、(相手の名前)さんの
アウマクアが示す事を私が最も相応しく今ここで表わす方法のシンボルやイメージ、メッセージを
示してくださるのを感謝します」(相手が目の前に居る場合は勿論、心の中で結構です)

ゆっくり深く息をしながら、何かを感じるのを待ちます(おしゃべりをしたり、動いたりしていても良い
です)。

自分のアウマクアが示す事を今ここで実際行動に移すかどうかを、最後に自分で判断します。

以上が人と意識によって共感するのを練習出来る一つの手順ですが、結果として「相手のアウマ
クアが望む事を相手側から主体的に行動する」とも、捉えられます。熟達すると、瞬間に意識により
共感するのでしょう。


posted by kako at 12:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

語り合い

hooponopono.gif
posted by kako at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月09日

離れて

keep_a_distance.gif

     離れて初めて一緒になる 放して初めて支え合う

          光の道を 共に 歩くのは 

     貴方が自分の足で立つ すると地から自由になる

          光の中で 共に 生きるよ
posted by kako at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

語り

a_talk.gif


カナロアの眼で見ると つららと雪が 木の枝が 語っています

           
posted by kako at 09:18| Comment(9) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

とかく言われがち

私は何かと言われる事が多いです。

勿論言われて初めて気づくことは多々ありますので、そういう場合はとても有り難いです。

でも、自分ではどうし様もない事を言われてもねえ・・・

「背が高いですねえ!」と見知らぬ方に言われても「はい」としか答えられません。

「あなたの歩き方どうにかなりません?」と注意されても、どうにもなりません。

声が大きいのも直りませんし、大口で笑うのも直りません。

東京に出たての頃、「皆言っているけど、あなたは・・・」とか「世間ではこうなのよ!」とか頻繁に言われました。

言われ続けているうちに、「皆」は三人ぐらい、「世間」は五・六人が平均なのが分かってきました。

仕事を始めると上司の殆どが「怒鳴り屋」で、「一筋縄でいかない女だなあ!」と怒鳴られた時は、私よりも周りの方が「いくはずがないだろう!」と反応していました。

年配の男性は怒鳴ると女性は言うことをきくはずだ、強く信じている割合が高い様です。

私としては真正面からきちんと話し合いましょうと思っていても、怒鳴られると立ち去るか、会話拒否です。

キカナイ(北海道弁で、気が強いという意味)と、言われます。

聞かないのではありません。一方的な決め付けには耳を傾けないだけです。「本当」の事は、心に真っ直ぐ落ちるので、感謝して受け入れます。




posted by kako at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

ソウル・メイト

初恋は、幼稚園年長さん組の時でした。

東京から引越ししてきた「ムネオ」君(某むねお氏とは無関係)に心がときめいていたのですが、「マリコ」ちゃんというやはり東京から引越ししてきたカーリーヘアーの(その当時にですよ!)フランス人形の様な女の子も彼にお熱だったので、「私は無理」と確信していました。

ところがムネオ君が東京に戻る挨拶をした日に、「みえこちゃんが、いい」と言ったのです。

私も含めて誰もが「!!!」と、言葉が出ませんでした。

小学校五年生の時、ピアノ稽古が終わるのを待って家まで送ってくれる男の子がいましたが、一年間で10センチ程も身長が伸び、近くの高専の男子生徒に「でかい!」としょっちゅう言われたのが引き金になって、「私は女としては不十分だ」と自らに宣言しました。

それで人間として生きる他になく、自分らしさだけを拠り所にして「自分は誰も理解しないし、誰も自分を理解しない」宣言もしていました。

それらの宣言にも関わらず、「出会うはずの人」感が定まっていたのは先天性だった様です。

幾つも貴重な出会いを通して、出会えたその人はシュールでした。

モロカイ島の星空に向かって、日本女性のクフ・フラの親友と、「イッタ・ニッタ・サンタ」(一番目、二番目、三番目の人の意味?!)と猛烈に呼びかけた一ヶ月後でした。

どうも出会いが早産でずっと態度がぎくしゃくしたままで心だけはつながり、無我夢中で全力投球、甲斐あって腹の底から発音出来、歓びもつかの間追い出された形で私がグランドを去りました。

大地が裂けて飲み込まれた如く一人ぽっちなのに、どうしても前に進まなくてはならないと,がむしゃらな探求志向。ダンテの神曲風を実体験してしまいました。

今、「出会うはずの人」とは私の内でつながっています。私のソウル・メイトは私自身の半分、つまり男性性らしいです。

まだ結末は確定していないので、この世界を去るまで先天性「出会うはずの人」感は保持するつもりです。

追記
posted by kako at 18:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。